東京都立大学大学院 博士後期課程 在籍
初台リハビリテーション病院にて脳卒中リハに従事のち独立
「歩いていると急に体が傾いて、慌てて壁に手をつくことがある」「この1年で何度か転んでしまい、外出がこわくなった」。多発性硬化症(MS)とともに暮らす方やご家族から、こうしたお話をうかがうことは少なくありません。
結論から正直にお伝えします。運動によって「バランスの検査の点数」が上向くことは、複数の研究で一致して示されています1,2,3。一方で、「実際に転ぶ回数そのものが減る」ことは、まだ確かめられていません1。コクランのレビューでは、運動を行った群の転倒の起こりやすさは率比 0.68(95%信頼区間 0.43〜1.06)で、差があるとは言い切れない範囲にとどまり、根拠の確実性も「非常に低い」と評価されました1。
この2つは、似ているようで違う話です。この記事では、何がどこまで言えて、何がまだ言えないのかを、数字と一緒に整理していきます。
MSでバランスが崩れるのはなぜか
多発性硬化症は、脳・脊髄・視神経のあちこちで神経を包む「髄鞘」が傷つく病気です。傷つく場所が人によって違うため、ふらつきの出方も一人ひとり異なります。バランスに関わる主な要因を整理すると、次のようになります。
転ぶことについての研究
まず、いちばん知りたい「転ぶ回数は減るのか」から見ていきます。ここが、この記事でもっとも正直にお伝えしたい部分です。
【運動 対 対照群】
転倒の起こりやすさ(率比):0.68(95%信頼区間 0.43〜1.06)、5件・399名、確実性は非常に低い。差があるとは言い切れません
1回以上転んだ人の割合(リスク比):0.85(0.51〜1.43)、5件・355名、確実性は低い。差があるとは言い切れません
有害事象(リスク比):1.25(0.26〜6.03)、3件・97名、確実性は低い
一方、バランスの検査の点数では運動群に有利な差がみられました(標準化平均差 0.50、95%信頼区間 0.09〜0.92、5件)。歩く・移動する力の客観的な指標でも 0.28(0.07〜0.50)でした。ただし著者らは、これらは副次的な結果でありGRADEによる確実性評価を行っていない、と明記しています1。
生活の質については、データを報告した研究がなく評価できませんでした1。
このレビューの著者らの結論は、率直なものです。「MSにおける転倒を防ぐための介入に関する根拠は、まだ乏しく不確かである」と述べ、しっかりした方法で行われる新しい試験が必要だとしています1。
ただし、含まれた研究の中には目を引く報告もありました。感覚を統合する形のバランス練習と、通常のリハビリを比べた1件の試験では、転倒の率比が 0.10(95%信頼区間 0.01〜0.67)と報告されています1。これは1件だけの結果であり、そのまま一般化はできませんが、「練習の中身によって違いが出るかもしれない」という手がかりではあります。
バランスの検査の点数についての研究
転倒そのものと違い、「バランスの検査の点数」については、複数のレビューで比較的そろった結果が出ています。
バランスの総合的な点数(バーグバランススケールなど):効果量 0.46(95%信頼区間 0.18〜0.74)
移動の検査(立ち上がって歩いて戻る時間など):0.19(0.01〜0.36)
歩く速さ:0.07(-0.13〜0.26)。差ははっきりしません
ステップの検査:0.02(-0.35〜0.39)。差ははっきりしません
練習の種類別では、課題を題材にした練習 0.76、ゲーム機器を使った練習 0.55、感覚を統合する練習 0.33でした。
さらに、練習の総量が多いほどバランスの点数の差が大きいという関係が報告されています(バランス総合点 β=1.05、p<0.01/移動 β=0.47、p=0.03)2。
バーグバランススケール:平均差 3.77点(95%信頼区間 3.01〜4.53)、研究間のばらつき I²=50%
立ち上がって歩いて戻る時間:平均差 -1.33秒(-1.57〜-1.08)、I²=34%
6分間歩行距離:平均差 25.56メートル(16.34〜34.79)、I²=47%
疲労の指標:平均差 -4.34(-5.83〜-2.84)、I²=79%とばらつきが大きい
生活の質(MSQOL-54):平均差 11.80(5.70〜17.90)、I²=66%
研究の質はPEDro尺度で40件中39件が「良好」と評価されています3。
運動全般については、MSの運動療法・リハビリについて解説した記事でも扱っていますので、あわせてご覧ください。
どんな練習が研究で使われたか
なお、この分野を早い時期に整理した2015年のレビューでも、介入の種類がばらばらで比較が難しいこと、転倒を結果として測った研究が少ないことが課題として挙げられていました4。10年近く経った現在も、この構図は大きくは変わっていません1。
エビデンスの質と限界
2. コクランのレビューでは、13件中9件が方法上のどこかで高いバイアスリスクと判定されています1
3. 転倒の起こりやすさに関する根拠の確実性は「非常に低い」と評価されました1
4. 生活の質については、データを報告した研究がなく評価できていません1
5. バランス練習のレビューでは、意図した治療解析(ITT)を適切に行ったのは18件中7件(39%)にとどまります2
6. 同じレビューで、対照群の活動量を記録していたのは18件中2件(11%)のみでした。比較の前提が十分に整っていない可能性があります2
7. 運動全般のレビューでは、疲労の指標で I²=79%、生活の質で I²=66% と研究間のばらつきが大きいことが示されています3
8. バランス練習の分野では「強度をどう定義するか」が定まっておらず、研究どうしの比較が難しい状態です2
とくに1番目は大切です。バランスの検査は、あくまで決められた場面での動きを測るものです。実際の生活の中では、床の状態、疲れ具合、慌てているかどうかなど、検査室にはない条件が重なります。点数が上向いても、転倒がそのまま減るとは限りません1。
まだ分かっていないこと
2. 複数の要因にまとめて対処する形の取り組みがどこまで役立つかが分かっていません。著者らは今後必要な研究として明記しています1
3. どの種類の練習が最も適しているかが定まっていません。種類による違いは示されていますが、直接比較した研究は限られます2
4. どのくらいの量・強度が最適かが未確立です。総量が多いほど差が大きい傾向は示されていますが、上限や適切な進め方は分かっていません2
5. 障害の程度による違いが十分に検証されていません。レビューの著者ら自身が、障害の程度などの要因を解析できなかったと述べています2
6. 長期的にどうなるかがほとんど分かっていません。多くの研究は数週間から数か月の追跡にとどまります1,2
7. 生活の質がどう変わるかが、転倒に関する研究の中では確かめられていません1
8. 費用に見合うかの検討も十分ではありません1
安全上の注意と量の目安
・体温の上昇で症状が一時的に強く出ることがあります。暑い時間帯や長時間の運動は避け、涼しい環境と水分補給を確保してください
・バランスの練習は、転ぶ可能性のある姿勢をあえて扱います。必ず手すり・壁・付き添いなど支えのある環境で行ってください
・コクランのレビューでは、有害事象のリスク比は 1.25(95%信頼区間 0.26〜6.03)で、群間の差ははっきりしませんでしたが、報告した研究は3件・97名にとどまります1
・疲れが翌日まで残る、しびれやふらつきが増すといった変化があれば、量を見直す判断が必要です
Journey Rehabでの考え方と正直なまとめ
疲労と体温の影響も確認します。MSでは時間帯によって状態が変わることがあるため、実施時間と量は主治医や担当療法士の方針を踏まえて個別に検討します。
現時点の研究では、運動によって転ぶ回数そのものが減るとは言い切れません1。「転ばない体をつくれる」といった断定はせず、研究の不確実性も含めて説明します。
2. 一方、転ぶ回数そのものが減るかは確かめられていません(率比 0.68、95%信頼区間 0.43〜1.06、確実性は非常に低い)1
3. バランス練習のレビューでは、総合的な点数で 0.46(0.18〜0.74)が報告されています2
4. 歩く速さやステップの検査では、はっきりした差がみられていません2
5. 練習の総量が多いほどバランスの点数の差が大きい傾向が示されています2
6. 課題を題材にした練習で 0.76 と、種類別では最も大きな値が報告されました2
7. 転倒に関する研究では、生活の質のデータが報告されていません1
8. 運動は環境の見直しと並行して考えるものであり、これだけで転倒を避けられるわけではありません
Journey Rehabの訪問自費リハビリについて知りたい方へ
作業療法士(国家資格)/認定作業療法士:登録番号2836(日本作業療法士協会)
東京都立大学大学院 人間健康科学研究科 作業療法学域 博士後期課程 在籍
・2021年:大手自費リハビリ会社に転職後、2024年にフリーランスとして独立
・2025年:株式会社Journey Rehab設立。千葉県/東京都23区を中心に訪問型の自費リハビリを提供中
・第34回日本保健科学学会(2024)ポスター発表
よくある質問
2. Wallin A, Johansson S, Brincks J, Dalgas U, Franzén E, Callesen J. Effects of Balance Exercise Interventions on Balance-Related Performance in People With Multiple Sclerosis: A Systematic Review and a Meta-Analysis of Randomized Controlled Trials. Neurorehabilitation and Neural Repair. 2024;38(10):775-788. PMID: 39162296. PMCID: PMC11490070.
3. Du L, Xi H, Zhang S, Zhou Y, Tao X, Lv Y, et al. Effects of exercise in people with multiple sclerosis: a systematic review and meta-analysis. Frontiers in Public Health. 2024;12:1387658. PMID: 38660348. PMCID: PMC11039920.
4. Gunn H, Markevics S, Haas B, Marsden J, Freeman J. Systematic Review: The Effectiveness of Interventions to Reduce Falls and Improve Balance in Adults With Multiple Sclerosis. Archives of Physical Medicine and Rehabilitation. 2015;96(10):1898-1912. PMID: 26070975.