東京都立大学大学院 博士後期課程 在籍
初台リハビリテーション病院にて脳卒中リハに従事のち独立
「約束を忘れることが増えました」「話についていくのに時間がかかるようになりました」「仕事で、以前は同時にこなせていたことができません」。多発性硬化症(MS)の方から、歩きにくさや疲れやすさとは別に、こうしたご相談をいただくことがあります。
結論から言うと、記憶に対するリハビリについては、44の試験・2,714名をまとめたコクラン・レビューがあり、「ご本人が感じる記憶のしづらさ」と「生活の質」については確実性の高い根拠が示されています。一方で、日常生活動作の指標では差が示されていません。この記事では、何が変わりうるのか、何は変わりにくいのかを分けて整理します。
多発性硬化症では、身体の症状だけでなく、考えたり覚えたりする働きにも変化が生じることがあります。研究でとくに扱われてきたのは、次のような領域です。
2. 言葉で聞いたことの記憶(言語性記憶)
3. 見たものの記憶(視覚性記憶)
4. 一時的に情報を保持しながら操作する力(ワーキングメモリ)
5. 注意を向け、必要なところへ切り替える力
国際的には、こうした変化を短時間で確認するための評価の枠組み(BICAMS)が2012年に提案されており、情報処理速度と言語性・視覚性の記憶を組み合わせて確認する形が示されています6。日常の困りごとと検査の結果は必ずしも一致しないため、まずは何にどう困っているのかを言葉にすることが出発点になります。
MSの成人を対象に、記憶のリハビリを扱った44のランダム化比較試験・計2,714名をまとめた解析です。含まれた介入は、コンピュータを使った記憶の練習(16研究)、記憶を補う工夫を教える総合的なプログラム(7研究)、イメージを使って物語を覚える手法(3研究)などでした。
介入から1〜6か月後の時点では、ご本人が感じる記憶のしづらさが標準化平均差0.23(95%信頼区間0.11〜0.35、確実性は高い)、言語性記憶が0.25(0.11〜0.40)、生活の質が0.30(0.02〜0.58、確実性は高い)でした。
一方、同じ時点で視覚性記憶0.20(−0.11〜0.50)、ワーキングメモリ0.16(−0.09〜0.40)、日常生活動作0.06(−0.36〜0.24)は有意な差に届いていません。とくに日常生活動作については、確実性が「高い」と評価されたうえで差なしという結果です。6か月を超える時点では、多くの指標で差が小さくなっていました。1
この解析でもうひとつ重要なのは、著者らが「方法論の質が低い試験ほど良い結果を示していた」と明記している点です1。つまり、報告されている効果の大きさは、実際よりやや大きめに見えている可能性があります。
記憶に限定せず、認知機能全体を扱った2014年のコクラン・レビュー(20研究・986名、平均年齢44.6歳、平均罹病期間14年)もあります。こちらでは、認知トレーニング単独で記憶の範囲(標準化平均差0.54、0.20〜0.88)とワーキングメモリ(0.33、0.09〜0.57)に差が示された一方、注意(0.06、−0.10〜0.23)と情報処理速度には差がありませんでした。認知トレーニングに代償手段の指導を組み合わせた群では、注意(0.15、0.01〜0.28)と即時の言語性記憶(0.31、0.08〜0.54)、遅延記憶(0.22、0.02〜0.42)に差が出ています。ただし著者らは、全体の確実性を「低い〜非常に低い」とし、気分や生活の質を良い方向に変えるという根拠はないと述べています2。
コンピュータを使った練習に絞った2019年のメタアナリシス(20試験・982名)では、練習していない課題での認知機能の効果量がg=0.30(0.18〜0.43)でした。ただし著者らは、練習を続けなければ効果が薄れていくこと、疲労や生活面の指標については結論が出せなかったことを報告しています3。
「身体を動かすことが頭の働きにもつながるのか」という問いについては、報告が割れています。
21研究をまとめた2023年のメタアナリシスでは、運動が認知機能に関わる結果が示されましたが、効果量は小さいものでした(d=0.20、95%信頼区間0.06〜0.34、I²=39.31%)。記憶に限ると0.17(0.02〜0.33)です4。
一方、13研究をまとめた2021年の別の解析では、全体の認知機能について差は示されませんでした(g=0.04、−0.11〜0.18)。運動の種類、年齢、障害の程度、監督の有無といった条件のいずれも、結果を左右していません5。
2025年のネットワークメタアナリシス(35試験・1,612名)では、複数の要素を組み合わせた運動(標準化平均差0.53、0.16〜0.89)や心身をつなぐ運動(0.44、0.14〜0.74)で差が報告されています7。
同じテーマで、これだけ結論が分かれているという事実そのものが、現時点の到達点です。「運動をすれば頭の働きも変わる」と言い切れる段階ではありません。ただし運動には、歩行、バランス、疲労といった別の目的があります。その点については多発性硬化症の運動療法について解説した記事で扱っています。
・確実性が下げられた主な理由は、記憶の検査に「単語リストを覚える課題」が使われており、生活の中での記憶を反映しにくい点にあります1
・方法論の質が低い試験ほど良い結果を示していたと、著者らが明記しています1
・介入を受けている本人に「どちらの群か」を伏せることが難しく、評価が偏るおそれが残ります1,2
・2014年のレビューでは、適切な無作為化が確認できたのは20研究中7研究にとどまっています2
・44研究のうち、介入が計画どおり行われたかを確認していたのは4研究だけでした1
・運動と認知機能については、差ありとする報告と差なしとする報告が併存しています4,5
・6か月を超える時点では、多くの指標で差が小さくなっており、長期的にどうなるかは分かっていません1
・コンピュータを使った練習は、続けなければ効果が薄れていくと報告されています3
・最適な回数・頻度・1回の時間・続ける期間の基準はありません1,2
・病型(再発寛解型・進行型)や障害の程度による違いは十分に検証されていません2
・気分や不安を良い方向に変えるという根拠は示されていません2
・費用に見合うかどうかを検討した研究が不足していると指摘されています1
研究全体では一定の傾向がありますが、対象者や介入内容が研究ごとに異なるため、すべての方に同じ結果が当てはまるわけではありません。とくに「検査の点数が動くこと」と「生活が楽になること」は別の話として扱う必要があります。
研究に参加していた方の条件から考えると、次のような状況が想定されます。
2. 覚えにくさや段取りのしづらさを、ご本人が自覚している方1
3. 再発期を脱し、状態が落ち着いている方
4. 仕事や家事など、具体的に困っている場面がはっきりしている方
5. 疲労の程度を確認しながら、無理のない時間で取り組める方
5番目に挙げた疲労は、MSでは切り離せない要素です。認知の練習も、疲れている状態では続きません。疲労との付き合い方は多発性硬化症の疲労とリハビリについて解説した記事で扱っていますので、あわせてご覧ください。
また、急に症状が変わった、以前できていたことが短期間でできなくなったという場合は、再発の可能性も含めて速やかに受診してください。この記事の内容は、状態が落ち着いている時期を前提にしています。
「これが最適」と言える量は決まっていません。ここでは研究で実際に用いられた内容を紹介します。ご自身に当てはめる際は、必ず主治医・リハビリ専門職とご相談ください。
形式:83%がコンピュータを用いたもの、17%が紙と鉛筆による課題
結果の解釈:記憶の範囲とワーキングメモリに差がありましたが、注意と情報処理速度には差がなく、全体の確実性は低いと評価されています2
位置づけ:44研究のうち7研究が総合的なプログラム、1研究が携帯電話のリマインダーを扱っています
結果の解釈:1〜6か月後の時点で、ご本人が感じる記憶のしづらさと生活の質に差が示されています1
種類:複数の要素を組み合わせた運動、心身をつなぐ運動などが上位に挙げられています7
結果の解釈:差なしとする解析も併存しており、認知機能を目的として運動の種類を選ぶ根拠は十分ではありません5
結果の解釈:期間で区切るというより、生活の中に組み込める形へ落とし込むことが現実的な考え方になります
正直にお伝えすると、この領域でいちばん重い数字は「日常生活動作の指標では差が示されなかった」という結果です1。しかも、その確実性は「高い」と評価されています。課題の点数が動くことと、生活が楽になることは、同じではないということです。
一方で、ご本人が感じる記憶のしづらさと生活の質については、確実性の高い根拠で差が示されています1。この二つを合わせて読むと、「検査の点数を上げること」よりも「困っている場面そのものを整えること」に力点を置く、という方向が見えてきます。メモの置き場所を決める、確認する時間を決める、疲れる前に区切る。地味ですが、生活の中で機能するのはこうした形です。
なお、脳卒中後の記憶の変化についても考え方の共通する部分があります。関心のある方は脳卒中後の記憶障害とリハビリについて解説した記事もご覧ください。病気は異なりますが、生活の中で工夫を組み立てるという枠組みは共通しています。
メモやスマートフォンを勧めるだけでは定着しないこともあります。置き場所と確認する時間を決める、手順を減らす、疲れる前に区切るなど、ご本人が実際に続けられる形へ一緒に調整します。急な変化や、疲労・睡眠・気分・薬の影響が疑われるときは、認知訓練だけで解決しようとせず、主治医への相談を優先します。
2. 一方、日常生活動作の指標では差が示されておらず、この結果の確実性も「高い」と評価されています1
3. 6か月を超える時点では多くの指標で差が小さくなり、長期の見通しは分かっていません1
4. コンピュータを使った練習は、続けなければ効果が薄れていくと報告されています3
5. 運動と認知機能については、差ありとする報告と差なしとする報告が併存しています4,5
6. 物忘れの背景に疲労・睡眠・気分・薬の影響がある場合は対応が変わります。まず主治医にご相談ください
作業療法士(国家資格)/認定作業療法士:登録番号2836(日本作業療法士協会)
東京都立大学大学院 人間健康科学研究科 作業療法学域 博士後期課程 在籍
・2021年:大手自費リハビリ会社に転職後、2024年にフリーランスとして独立
・2025年:株式会社Journey Rehab設立。千葉県/東京都23区を中心に訪問型の自費リハビリを提供中
・第34回日本保健科学学会(2024)ポスター発表
2. Rosti-Otajärvi EM, Hämäläinen PI. Neuropsychological rehabilitation for multiple sclerosis. Cochrane Database of Systematic Reviews. 2014;2014(2):CD009131. PMID: 24515630.
3. Lampit A, Heine J, Finke C, Barnett MH, Valenzuela M, Wolf A. Computerized Cognitive Training in Multiple Sclerosis: A Systematic Review and Meta-analysis. Neurorehabilitation and Neural Repair. 2019;33(9):695-706. PMID: 31328637.
4. Li G, You Q, Hou X, Zhang S, Du L, Lv Y, Yu L. The effect of exercise on cognitive function in people with multiple sclerosis: a systematic review and meta-analysis of randomized controlled trials. Journal of Neurology. 2023;270(6):2908-2923. PMID: 36864256.
5. Gharakhanlou R, Wesselmann L, Rademacher A, Lampit A, Negaresh R, Kaviani M. Exercise training and cognitive performance in persons with multiple sclerosis: A systematic review and multilevel meta-analysis of clinical trials. Multiple Sclerosis. 2021;27(13):1977-1993. PMID: 32390502.
6. Langdon DW, Amato MP, Boringa J, Brochet B, Foley F, Fredrikson S. Recommendations for a Brief International Cognitive Assessment for Multiple Sclerosis (BICAMS). Multiple Sclerosis. 2012;18(6):891-8. PMID: 22190573.
7. Su X, Zheng Z, Yu F, Liu C, Wang S, Zhu F. The impact of different exercise types on cognitive function in patients with multiple sclerosis: a systematic review and network meta-analysis. Journal of Neurology. 2025;272(11):709. PMID: 41110004.
