
東京都立大学大学院 博士後期課程 在籍
初台リハビリテーション病院にて脳卒中リハに従事のち独立
「脳卒中の後、ちょっとしたことで涙が止まらなくなる」「笑い出すと自分では抑えられない」——こうした変化に、ご本人もご家族も戸惑うことが少なくありません。これは「感情失禁(かんじょうしっきん)」や「情動調節障害」と呼ばれる、脳卒中後によくみられる症状の一つです。気持ちが弱いからでも、性格が変わったからでもなく、脳の損傷そのものによって起こる反応です。この記事では、脳卒中後の感情失禁について、研究で分かっていることと、まだはっきりしないことを、患者さんとご家族に向けて正直に整理します。結論から言うと、お薬で泣き笑いの回数が和らいだという報告はありますが、研究の質には限界があり、まずは正しく理解して主治医に相談することが出発点になります。
・脳卒中後の感情失禁を対象に、抗うつ薬とプラセボを比べた研究をまとめた大規模な総説(コクランレビュー)では、7件の研究(合計239名)が集められました1。
・3件の研究(164名)をまとめると、抗うつ薬を使った群のほうが涙もろさが和らいだ人が多く、これは「中等度の確からしさ」とされています1。
・一方、症状が半分以下に減った人の割合などは、研究がごく小規模で「確からしさは非常に低い」とされ、はっきりした結論には至っていません1。
・感情失禁はうつ病と間違われやすいですが、別のものとして考える必要があります。見分けや薬の判断は主治医に相談してください。
・重い副作用の報告は少ないとされますが、安全性を厳密に確かめた情報は十分ではありません1。自己判断で市販薬などを使わないことが大切です。
感情失禁とは、脳卒中によって「感情の表れ(泣く・笑う)」を調整する脳の働きが乱れ、その場の気持ちの大きさに見合わないほど強く、急に泣いたり笑ったりしてしまう症状です。医学的には「情動調節障害」「病的な泣き笑い(pathological crying and laughing)」「情動失禁」などと呼ばれ、海外では「pseudobulbar affect(偽性球麻痺性情動)」という言葉も使われます1。テレビの何気ない場面や、人と話しているときに涙があふれて止まらない、うれしくないのに笑いが込み上げる、といった形で現れます。
大切なのは、これが「気持ちが弱いから」「わがままだから」起きるのではなく、脳の損傷そのものによる神経の反応だという点です。ご本人も「自分でも止められない」ことに困り、恥ずかしさや落ち込みを感じることがあります。また、感情失禁は気分の落ち込み(うつ)と間違われやすいのですが、別の症状として区別して考える必要があります。涙が出ること=必ずうつ、ではありません。気分そのものの落ち込みが続く場合は、脳卒中後の気分の落ち込みとうつについて解説した記事もあわせてご覧ください。やる気そのものが出にくい場合は、脳卒中後のアパシー(意欲の低下)について解説した記事も参考になります。
結論から正直にお伝えすると、お薬(抗うつ薬)で泣き笑いの回数や強さが和らいだと報告した研究はありますが、研究の数も規模も限られており、確実なことは言い切れない段階です。代表的な研究をみていきます。
もっとも確からしさが高かったのは「涙もろさ」に関する結果です。3件の研究(164名)をまとめると、抗うつ薬を使った群のほうが涙もろさが和らいだ人が多く、これは「中等度の確からしさ」と評価されました(リスク比0.32、95%信頼区間0.12〜0.86)1。一方、「感情失禁が半分以下に減った人の割合」は、抗うつ薬(フルオキセチン)を使った群で多い傾向がみられたものの、参加者はわずか19名の1件のみで、確からしさは「非常に低い」とされました1。別の薬(セルトラリン)で感情の不安定さの検査(CNS-LSなど)をみた研究では、プラセボとほとんど差がないという結果でした1。スウェーデンで行われた別のランダム化比較試験でも、セルトラリンを使った群で感情面の指標が良い傾向がみられましたが、はっきりした差とまでは言えませんでした2。効果は特定の1つの薬だけに限られるものではないと考えられています1。
研究をふまえると、感情失禁は「必ず治る/必ず薬で消える」というものではありませんが、対応の選択肢はあります。まず知っておきたいのは、感情失禁は多くの場合、時間の経過とともに少しずつ落ち着いていく傾向があるということです。そのうえで、涙もろさなどが強く生活に支障がある場合には、主治医の判断で抗うつ薬が使われることがあり、涙もろさが和らいだという報告があります1。
一方で、「薬を飲めば誰でも確実に泣き笑いが止まる」「短期間で完全になくなる」ことは、現時点の研究でははっきり示されていません1。効果の大きさには個人差があり、研究の質にも限界があります。また、感情失禁とうつは重なることもあり、涙が続く背景に気分の落ち込みや不安が隠れていることもあります。気持ちの落ち込みや不安が強いときは、脳卒中後の不安について解説した記事もあわせて参考にしてください。大切なのは、症状を一人で抱え込まず、主治医に「どんなときに、どのくらいの頻度で起こるか」を具体的に伝えることです。
感情失禁で「生活に支障がある」「人前に出るのがつらい」「家族との会話が減ってしまった」と感じている方は、まず主治医に相談することがすすめられます。お薬を使うかどうかは、他に飲んでいる薬や持病、うつの有無なども含めて総合的に判断されるため、自己判断で市販のサプリメントや家族の薬を使うことは避けてください。
お薬以外に、感情失禁そのものを確実に減らす方法が研究で十分に確かめられているわけではありません1。それでも、生活の中でご本人とご家族が楽に過ごすための工夫はいくつかあります。たとえば、涙や笑いが出てしまったときに、無理に止めようとせず「少し深呼吸をして待つ」「話題や視線を一度そらす」「水を一口飲む」といった方法で、落ち着くのを待つ人もいます。周りの人が慌てず、普段どおりに接することも、ご本人の安心につながります。
リハビリの場面では、感情失禁があると「人前での練習が恥ずかしい」「涙が出て集中できない」と感じる方もいます。私たちは、症状を責めるのではなく、休憩を挟みながら本人のペースに合わせて進めることを大切にしています。ご自身で体調や気持ちを整えていく取り組みについては、脳卒中後のセルフマネジメントについて解説した記事もあわせてご覧ください。感情失禁は、周囲の理解と時間の経過の中で、少しずつ付き合いやすくなっていくことが多い症状です。

修士(作業療法学)/作業療法士(国家資格)/認定作業療法士:登録番号2836
東京都立大学大学院 人間健康科学研究科 作業療法学域 博士後期課程 在籍
経歴
2016年:初台リハビリテーション病院に入職。脳卒中後遺症の回復期リハに従事
2021年:大手自費リハビリ会社に転職後、2024年にフリーランスとして独立
2025年:株式会社Journey Rehab設立。千葉県/東京都23区を中心に訪問型の自費リハビリを提供中
研究活動
第57回日本作業療法学会(2023)ポスター発表/第34回日本保健科学学会(2024)ポスター発表
論文執筆
田中 光, 石橋 裕, 佐々木 智也, 坂本 泰平. (2025). 本邦における介護予防・日常生活支援総合事業におけるスコーピングレビュー. 日本老年療法学会誌, 4(1).
2. Murray V, von Arbin M, Bartfai A, et al. Double-blind comparison of sertraline and placebo in stroke patients with minor depression and less severe major depression. J Clin Psychiatry. 2005;66(6):708-716. DOI:10.4088/jcp.v66n0606. PMID:15960563.
