東京都立大学大学院 博士後期課程 在籍
初台リハビリテーション病院にて脳卒中リハに従事のち独立
「脳卒中のあと、手が握りこんだまま開かない」「足首が内側にねじれて歩きにくい」。こうした筋肉のつっぱり(痙縮)に対して、ボツリヌス毒素の注射(いわゆるボトックス治療)をすすめられることがあります。結論から先にお伝えします。ボツリヌス毒素A型の注射は、注射した筋肉のこわばり(筋緊張)を一定期間やわらげることが複数の研究で示されています1,2,3。一方で、「腕を使いやすくなる」「速く歩ける」といった生活動作そのものの変化は、研究によって結果が分かれます2,4。この記事では、患者さん・ご家族に向けて、研究で分かっていることと分かっていないこと、そしてリハビリとどう組み合わせるかを正直に整理します。
2. 研究では効果があるとされているのか
3. エビデンスの質と限界・まだ分かっていないこと
4. 何が変わりやすく、何は変わりにくいか
5. どんな人に向いていて、どんな人は注意が必要か
6. リハビリとの併用・時期・回数の目安
7. 訪問リハビリの現場で大切にしていること
8. よくある質問
9. 参考文献
痙縮とは、脳卒中などで脳から筋肉への信号のバランスがくずれ、筋肉が意図せず緊張し続ける状態です。腕では肘・手首・指が曲がって握りこむ形になりやすく、脚ではふくらはぎが縮んで足首が下や内側を向く形(尖足・内反)になりやすいとされています。強い痙縮が続くと、手のひらが洗いにくい、爪が切りにくい、服の袖が通しにくい、装具が入らない、関節が固まる(拘縮)といった困りごとにつながります。
ボツリヌス療法は、緊張が強い筋肉にボツリヌス毒素A型という薬をごく少量注射し、その筋肉に一時的に力が入りにくい状態をつくる治療です。効果はおおむね注射後2〜4週でピークになり、3〜4か月ほどで薄れていくため、必要に応じて期間をあけて繰り返します。痙縮に対しては、内服薬、ストレッチ、装具、電気刺激、体外衝撃波などの選択肢もあり、注射はそのうちの一つです。自宅でできる痙縮への対応は、痙縮に対する自宅でのリハビリについて解説した記事もあわせてご覧ください。

27件のランダム化比較試験(合計2,793人)をまとめた研究では、上肢の痙縮に対してボツリヌス毒素A型は、筋緊張(標準化平均差 −0.76)、医師による全体評価(同 0.51)、日常生活の障害度スケール(同 −0.30)を、注射なしの群と比べて有意に変化させたと報告されました。一方で、腕を実際に動かして使う能力(active upper limb function)には有意な差が示されませんでした(標準化平均差 0.49、95%信頼区間 −0.08〜1.07)。下肢では、Fugl-Meyerスコア(運動機能の指標)は改善した一方、筋緊張と歩行速度には有意な差がありませんでした。重い副作用の頻度は注射群と対照群で差がありませんでした2。
腕を使った活動(着替え、物を取るなど)を評価項目にした16件のランダム化比較試験を対象に、10件(合計約1,000人)をまとめた解析では、ボツリヌス毒素A型は活動の能力や実行に「中くらいの大きさ」の変化と関連していました(標準化平均差 0.536、95%信頼区間 0.352〜0.721)。ただし著者らは、対象となった評価尺度が研究ごとに異なる点を限界として挙げています1。
脳卒中後の下肢痙縮に対するボツリヌス毒素注射を調べた21件の研究をまとめた解析では、筋緊張(modified Ashworth scale)は大きく低下し(Hedges' g −1.17)、10メートル歩行テストのタイムも有意に短くなりました(標準化平均差 −0.35)。ただし歩行の「速さ」そのものは有意な差に届かず(同 0.27、p=0.285)、著者らは歩き方や姿勢の細かい変化についてはさらに研究が必要だとしています3。
下肢痙縮に対するボツリヌス毒素注射のプラセボ対照試験5件(合計421人)をまとめたレビューでは、5件すべてで筋緊張(modified Ashworth scale)の低下が報告された一方、歩行の変化を示した研究と示さなかった研究があり、生活の質を測った1件では有意な差がありませんでした。著者らは「このレビューでは、注射によって歩行や生活の質が良くなる(あるいは良くならない)と結論づけるだけの十分な根拠はなかった」と述べています4。
全体をまとめると、「注射した筋肉のこわばりを一定期間やわらげる」という点は複数の研究で一致していますが、その先の「腕の使いやすさ」「歩行」「生活の質」への波及は、研究ごとに結果がそろっていません1,2,3,4。
研究の質にはいくつか共通した限界があります。個々の試験は参加人数が少なく、追跡期間も12週前後までのものが多いため、半年〜数年単位でどうなるかは十分に検討されていません3,4。使われている評価尺度が研究ごとに違うため、結果をまとめて比較しにくいという指摘もあります1,4。下肢では、筋緊張を測る尺度は改善しても、歩行速度のようにより生活に近い指標では差が出ないことがしばしばあります2,3。
1. どの人に最も向くのか。発症からの時期、痙縮の強さ、麻痺の重さ、どれくらい自分で動かせるかによって反応は異なると考えられますが、条件を分けた比較は十分ではありません。
2. 最適な量・対象筋・注射の間隔。ガイド下で正確に注射する工夫は進んでいますが、標準化された最適プロトコルは確立していません2。
3. リハビリとの組み合わせ方。注射のあとにどんな練習を、いつから、どれくらい行うと生活動作の変化につながりやすいのかは、研究の質・数ともにまだ限られます5,6。
4. 長期的な影響。関節が固まるのを防げるか、繰り返し注射を続けた場合の効き方はどうか、といった点は結論が出ていません。
研究全体では一定の傾向がありますが、対象者の状態や注射の方法、評価のしかたが研究ごとに異なるため、すべての方に同じ結果が当てはまるわけではありません。数値は集団の平均的な変化であり、個人の結果を保証するものではありません。
・肩や手のつっぱりに伴う痛み、手のひらの衛生・爪切り・着替えのしやすさ(介助のしやすさ)1,2
・医師や本人による全体的な印象評価2
・歩く速さ、歩行の自立度(下肢では有意差が出ないことが多い)2,3
・生活の質(測った研究が少なく、はっきりしない)4

一般に、つっぱりが特定の筋肉や関節に限られている(局所性)、痛みや介護のしにくさ・衛生面の困りごとがはっきりしている、装具や車いすの調整の妨げになっている、といった場合に検討されることが多い治療です。注射を行うかどうか、どの筋肉に何単位入れるかは、必ず医師の診察のうえで決まります。
・関節がすでに固まっている(拘縮)と、注射だけでは動きは戻りにくい
・注射のあと、麻痺側の脱力感や飲み込みにくさ、まぶたの下がりなど、いつもと違う症状が出たとき
・妊娠中・授乳中、神経筋の病気がある、抗凝固薬を使っているなど、事前に医師へ伝えるべき条件があるとき
研究で報告される副作用の多くは、注射部位の痛みや一時的な筋力低下など軽いもので、時間とともにおさまることが多いとされています。ただし副作用をていねいに記録した研究は少なく、安全性が完全に確かめられているわけではありません2。
ボツリヌス療法は「注射して終わり」ではなく、注射で筋肉がゆるんでいる期間にリハビリを組み合わせるのが一般的な考え方です。研究の状況は次のとおりです。
慢性期の脳卒中で上肢痙縮に注射を受けた後の外来多職種リハビリを調べたコクランレビューでは、対象になったのは3件の小規模ランダム化比較試験(合計91人)だけでした。著者らは「注射後の外来多職種リハビリが、慢性期脳卒中の上肢の活動や機能障害を良くするという根拠は、あってもせいぜい『低い水準』だった」と結論づけています。研究の質が低く、メタアナリシスもできませんでした5。
注射後に行われるリハビリ(電気刺激、ストレッチ・キャスト・スプリント・テーピング、課題練習、CI療法、エルゴメーターなど)を調べた11件の研究(合計234人・大半が脳卒中)のレビューでは、「併用したほうが注射単独よりもわずかに有利」という傾向が示されました。ただし研究のやり方がばらばらで、全体としての効果を示すのは難しいとされています6。
上肢の痙縮(modified Ashworth 2以上)がある43人を、注射後に「病院で理学療法士がついて行う構造化ストレッチ(1回20分・週5日・6か月)」と「自宅での自己ストレッチ」に分けた試験では、構造化ストレッチ群のほうが肘・手首・指の筋緊張の低下が大きく、肩の痛み、日常生活動作、生活の質でも有利でした。一方、腕の運動機能そのもの(Fugl-Meyer上肢)には両群で差がありませんでした7。ストレッチや関節可動域訓練の位置づけは、脳卒中後のストレッチと関節可動域訓練について解説した記事もご参照ください。
ロボットを使った練習との組み合わせを調べた2025年のシステマティックレビュー(7件・229人)では、下肢の試験で歩行やバランスの向上が報告された一方、上肢では通常のリハビリと大きな差はなく、注射から約4週後に集中練習を始めると効果が出やすい可能性が示されています。ただし件数が少なく、最適な時期や方法はまだ定まっていません8。体外衝撃波との併用など、他の物理療法を足す試みもあります(脳卒中後の体外衝撃波治療(ESWT)について解説した記事)。
・注射後リハビリの開始:筋肉がゆるみ始める数日〜数週のうちに、ストレッチ・装具・課題練習を組み合わせるのが一般的
・研究で使われた注射後リハビリの期間:多くは数週間〜6か月
・共通する考え方:注射で「動かしやすくなった状態」をつくり、その間に生活動作の練習・可動域の維持・装具調整を行う

当施設のような訪問リハビリでは、注射そのものは医療機関で行われるため、私たちは「注射の前後で生活のどこがどう変わったか」を生活の場で確認する役割が中心になります。具体的には、注射前に困っている動作(手のひらの衛生、爪切り、着替え、装具の着脱、歩行時の足の引っかかりなど)を洗い出し、注射後に筋肉がゆるんでいる期間へストレッチ・関節可動域の維持・目的の動作練習・装具や自助具の調整を合わせていきます。つっぱっている筋肉の力を支えに使っている場合は、弱めることで立ち座りや歩行が不安定にならないかを一緒に確認します。医療的な判断が必要な点は、主治医・リハビリ科と連携して対応します。
作業療法士(国家資格)/認定作業療法士:登録番号2836(日本作業療法士協会)
東京都立大学大学院 人間健康科学研究科 作業療法学域 博士後期課程 在籍
・2021年:大手自費リハビリ会社に転職後、2024年にフリーランスとして独立
・2025年:株式会社Journey Rehab設立。千葉県/東京都23区を中心に訪問型の自費リハビリを提供中
・第34回日本保健科学学会(2024)ポスター発表
2. Sun LC, Chen R, Fu C, Chen Y, Wu Q, Chen R, Lin X, Luo S. Efficacy and Safety of Botulinum Toxin Type A for Limb Spasticity after Stroke: A Meta-Analysis of Randomized Controlled Trials. BioMed research international. 2019;2019:8329306. PMID: 31080830/PMCID: PMC6475544. https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC6475544/
3. Varvarousis DN, Martzivanou C, Dimopoulos D, Dimakopoulos G, Vasileiadis GI, Ploumis A. The effectiveness of botulinum toxin on spasticity and gait of hemiplegic patients after stroke: A systematic review and meta-analysis. Toxicon : official journal of the International Society on Toxinology. 2021;203:74-84. PMID: 34626599. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/34626599/
4. Datta Gupta A, Chu WH, Howell S, Chakraborty S, Koblar S, Visvanathan R, Cameron I, Wilson D. A systematic review: efficacy of botulinum toxin in walking and quality of life in post-stroke lower limb spasticity. Systematic reviews. 2018;7(1):1. PMID: 29304876/PMCID: PMC5755326. https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC5755326/
5. Demetrios M, Khan F, Turner-Stokes L, Brand C, McSweeney S. Multidisciplinary rehabilitation following botulinum toxin and other focal intramuscular treatment for post-stroke spasticity. Cochrane Database of Systematic Reviews. 2013;(6):CD009689. PMID: 23740539/PMCID: PMC11729142. https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11729142/
6. Kinnear BZ, Lannin NA, Cusick A, Harvey LA, Rawicki B. Rehabilitation therapies after botulinum toxin-A injection to manage limb spasticity: a systematic review. Physical therapy. 2014;94(11):1569-1581. PMID: 25060957. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/25060957/
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8. Facciorusso S, Spina S, Filippetti M, Reebye R, Francisco GE, Santamato A. Botulinum Toxin Combined with Robot-Assisted Therapy for Post-Stroke Spasticity: A Systematic Review. Toxins (Basel). 2025;17(12):569. PMID: 41441605/PMCID: PMC12737565. https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC12737565/
