
東京都立大学大学院 博士後期課程 在籍
初台リハビリテーション病院にて脳卒中リハに従事のち独立
「手や腕は動くのに、歯ブラシや櫛(くし)の使い方がぎこちなくなった」「動作の順番が分からなくなって、着替えや食事に戸惑う」——脳卒中のあと、こうした様子に気づいてご相談をいただくことがあります。これは「失行(しっこう)」と呼ばれる状態かもしれません。失行とは、手足の麻痺やしびれだけでは説明できないのに、覚えていたはずの動作や道具の使い方がうまく行えなくなる状態を指します。本人は「やろう」としているのに体が思うように段取りできず、ご家族からは「やる気がないのでは」と誤解されてしまうこともあります。この記事では、失行について研究で分かっていること、向いている人・注意したい人、リハビリの進め方の目安を、患者さんとご家族に向けて正直に整理します。

・失行そのものを対象にしたリハビリ(ジェスチャー練習・方略訓練)について、現時点の研究の数は限られています1,2。
・複数の試験をまとめた解析では、日常生活動作(ADL)に小さな良い変化が報告されていますが、その効果は小さく、長く続くとは限りませんでした1,2。
・失行があっても、脳卒中の一般的なリハビリは続けることがすすめられています1。
・「できる・できない」は本人のやる気ではなく、脳の働きの問題であることを、周囲が理解することが大切です。
失行(しっこう)とは、手足の麻痺(まひ)や感覚の障害、理解力の低下だけでは説明できないのに、それまで自然に行えていた動作や道具の使い方が、うまくできなくなる状態を指します。たとえば、歯ブラシを口ではなく耳に持っていってしまう、ジェスチャー(手を振る、敬礼するなど)を頼まれてもぎこちなくなる、着替えや料理の「手順」が混乱する、といった様子が見られることがあります。手は動くのに、その手で「何を・どの順番で」するかをうまく組み立てられない、と考えると分かりやすいかもしれません。
失行にはいくつかのタイプがあるとされ、頼まれた動作やジェスチャーをまねるのが難しいタイプ(観念運動失行・かんねんうんどうしっこう)や、いくつかの段取りが必要な作業の順序が崩れてしまうタイプ(観念失行・かんねんしっこう)などに分けて説明されます。失行は、特に左脳(左半球)の脳卒中のあとに見られることがあり、言葉が出にくくなる失語症(しつごしょう)を伴うこともあります。大切なのは、これが「本人のやる気の問題」ではなく、脳の働きの問題だという点です。周囲が「さぼっている」「集中していない」と受け取ってしまうと、本人を追い込んでしまうことがあるため、まず性質を理解することが出発点になります。なお、似た言葉に注意の問題などもありますが、頭の中の段取りや注意が関わる困りごとについては、脳卒中後の注意障害のリハビリについて解説した記事もあわせて参考になります。
結論から正直にお伝えすると、失行そのものを対象にしたリハビリについては、まだ研究の数が限られており、「これをすれば必ず良くなる」と言い切れる段階ではありません。一方で、日常生活動作(ADL)に小さな良い変化が報告された研究もあり、まったく手立てがないわけではありません。「強い根拠はまだ十分ではないが、試みる価値のある方法は提案されている」というのが、現時点での理解です。
その後、5件のランダム化試験(合計310名)をまとめた別の解析では、ジェスチャー練習や方略訓練(やり方を工夫して手順を導く練習)といった介入が、日常生活動作に対して統計的に意味のある小さな効果を示したと報告されています(効果量0.416、95%信頼区間0.159〜0.673、p=0.002)2。一方で、失行の重さそのものに対する効果ははっきりせず、著者らも「今後さらに質の高い研究で確かめる必要がある」と述べています2。また、自宅で行う上肢の失行リハビリの試験(38名)では、ジェスチャーなどの検査成績は改善した一方、生活の自立度や生活の質(QOL)には、はっきりした差は見られませんでした3。

研究で比較的見えやすいのは、練習の直後に、日常生活動作や、ジェスチャー・道具操作の検査成績が少し良くなる、という変化です1,2,3。やり方を工夫して手順を導く方略訓練や、動作を見て・まねて練習するジェスチャー練習は、生活の場面と結びつけて行うことで、その人なりの「うまくいくやり方」を見つける手助けになりやすいと考えられます。
一方で注意したいのは、こうした変化が「大きく」「長く続く」とは限らない、という点です。複数の研究で、効果は小さく、時間が経つと差が薄れていく傾向が報告されています1。また、検査の成績が良くなっても、生活の自立度や生活の質まで大きく変わるかどうかははっきりしていません3。失行のリハビリは「一度できれば終わり」ではなく、実際の生活の中で繰り返し使い、環境を整えながら続けていく視点が大切です。動作を見て学ぶ練習に関心がある方は、脳卒中後の行動観察療法について解説した記事もあわせてご覧ください。
道具の使い方や動作の段取りに戸惑いがあり、着替え・食事・整容といった生活動作で困っている方では、その生活場面に即した方略訓練やジェスチャー練習を取り入れることを検討する場面があります。とくに、ご本人が「やろう」としているのに動作が組み立てづらい、というタイプの困りごとには、手順を一緒に整理していく関わりが助けになりやすいと考えられます。生活動作そのものを練習に組み込む進め方は、課題指向型アプローチについて解説した記事でも紹介しています。
研究で用いられてきた方法には、大きく分けて二つの考え方があります。ひとつは、やり方を工夫し、声かけやヒントで動作の手順を導く「方略訓練」です。もうひとつは、動作やジェスチャーを見て・まねて繰り返す「ジェスチャー練習」です2。いずれも、実際の生活動作(着替え・整容・調理など)と結びつけて、その人が困っている場面で練習することがすすめられます。失敗を重ねるより、うまくいく形を先に示して成功体験を積む工夫も用いられます。
頻度や期間については、研究によって幅があります。たとえば自宅で行う上肢の失行リハビリの試験では、8週間にわたり週3回・1回30分ほどのプログラムが用いられました3。ただし、これはあくまで一例で、最適な回数や期間がはっきり定まっているわけではありません。大切なのは、回数の多さそのものより、生活の中で繰り返し使い、環境を整えながら続けることです。そして忘れてはならないのは、失行があっても脳卒中の一般的なリハビリは続けることがすすめられている、という点です1。失行のリハビリだけを切り出すのではなく、全体のリハビリの中に組み込んで進めていくのが現実的です。具体的な内容や量は、担当の専門職とその時期の状態に合わせて相談しながら決めていくことをおすすめします。

修士(作業療法学)/作業療法士(国家資格)/認定作業療法士:登録番号2836
東京都立大学大学院 人間健康科学研究科 作業療法学域 博士後期課程 在籍
経歴
2016年:初台リハビリテーション病院に入職。脳卒中後遺症の回復期リハに従事
2021年:大手自費リハビリ会社に転職後、2024年にフリーランスとして独立
2025年:株式会社Journey Rehab設立。千葉県/東京都23区を中心に訪問型の自費リハビリを提供中
研究活動
第57回日本作業療法学会(2023)ポスター発表/第34回日本保健科学学会(2024)ポスター発表
論文執筆
田中 光, 石橋 裕, 佐々木 智也, 坂本 泰平. (2025). 本邦における介護予防・日常生活支援総合事業におけるスコーピングレビュー. 日本老年療法学会誌, 4(1).
2. Ji EK, Kwon JS. Effects of limb apraxia intervention in patients with stroke: a meta-analysis of randomized controlled trials. J Stroke Cerebrovasc Dis. 2023;32(2):106921. DOI:10.1016/j.jstrokecerebrovasdis.2022.106921. PMID:36512886.
3. Aguilar-Ferrándiz ME, Toledano-Moreno S, García-Ríos MC, et al. Effectiveness of a functional rehabilitation program for upper limb apraxia in poststroke patients: a randomized controlled trial. Arch Phys Med Rehabil. 2021;102(6):1095-1106. DOI:10.1016/j.apmr.2020.12.015. PMID:33485836.
4. Gibson E, Koh CL, Eames S, Bennett S, Scott AM, Hoffmann TC. Occupational therapy for cognitive impairment in stroke patients. Cochrane Database Syst Rev. 2022;3(3):CD006430. DOI:10.1002/14651858.CD006430.pub3. PMID:35349186. PMCID:PMC8962963.
