はじめに

脳卒中後のリハビリといえば、麻痺した手足を動かす訓練が中心というイメージが強いかもしれません。しかし最新の研究では、ウォーキングや自転車こぎなどの「有酸素運動」が、単に体力をつける以上の、驚くべき効果を持つことがわかってきました。それは、運動が脳の「神経可塑性」、すなわち自らを再構築する能力を直接的に高めるという事実です。
この記事では、有酸素運動が脳の回復にもたらすポジティブな影響について、科学的根拠(エビデンス)に基づいた5つの意外な真実を、リハビリテーション科学を専門とするメディカルライターの視点から分かりやすく解説します。
1. 脚を動かすと、腕の回復が早まる?:「脳のプライミング効果」という新常識

なぜ、自転車をこぐことが麻痺した腕の回復を加速させるのでしょうか?その答えは筋肉ではなく、脳の学習準備を整えることにあります。
これは、有酸素運動によって脳が活性化され、その後のリハビリ効果が高まる「プライミング(準備)」という現象によるものです。(プライミングについての記事はこちらからどうぞ。)具体的には、有酸素運動はBDNF(脳由来神経栄養因子)と呼ばれる重要なタンパク質の分泌を促します。このBDNFは「脳の肥料」のような働きをし、神経細胞が新しいつながりを形成するのを助けます。これが「プライミング効果」の生物学的な基盤です。
この理論を裏付けるのが、Linderら(2019, PMID: 31313626)の研究です。この研究では、脳卒中患者が「自転車エルゴメーターによる強制的なペダリング」を行った直後に腕のリハビリを実施したグループは、そうでないグループに比べ、腕の運動機能を示すFMA(Fugl-Meyer Assessment)スコアが平均で+11点も大きく改善しました。これは、有酸素運動を上肢リハビリの「準備運動」として戦略的に活用するアプローチの有効性を明確に示しています。
2. 歩行能力は「具体的に」どれくらい伸びる?:数字で見る確かな効果

有酸素運動が歩行能力を改善することはよく知られていますが、その効果は具体的な数値で示されています。**Saundersら(2020, Cochraneレビュー, PMID: 32196635)**によると、有酸素運動を取り入れたリハビリによって、以下の明確な改善が見られました。
- 快適な歩行速度が平均で毎分+4.3メートル向上
- 6分間で歩ける距離が平均で+30メートル伸びた
さらに注目すべきは、有酸素運動と筋力トレーニングを組み合わせた「ミックス運動」を行った場合、6分間で歩ける距離は**+41.6メートル**と、さらに大きく伸びた点です。これは「相乗効果」を強く裏付ける結果と言えます。
バランス能力の改善も報告されており、このレビューは以下のように結論づけています。
3. 脳機能アップには「頑張りすぎない」が正解?:認知機能を高める最適な運動強度

有酸素運動は、身体だけでなく脳卒中後の認知機能低下(PSCI)の改善にも有効です。Liら(2022, メタアナリシス, PMID: 36253969)では、有酸素運動によって全般的な認知スコアが向上することが示されました。
特に重要なのは運動の「強度」に関する発見です。「低強度」や「高強度」の運動よりも、「中等度の強度」の運動が認知機能の改善に最も効果的でした。中等度強度の運動の効果量は0.98と非常に高く、低強度(0.49)を大きく上回っています。
「軽く汗ばみ、会話は可能な範囲」といった中等度の運動が、脳の認知回路を最適に刺激するようです。高強度の運動はかえってストレスホルモンを増加させ、BDNFの分泌を妨げる可能性も指摘されています。
4. 運動の後に「脳トレ」をすると効果倍増?:実行機能を鍛える相乗戦略

高次脳機能(実行機能:計画、問題解決、注意の切り替えなど)への効果は限定的ですが、有酸素運動と認知課題を組み合わせることで効果が増大します。
**Yehら(2019, RCT, PMID: 30639273)**では、「30分間の有酸素運動の直後に30分間のコンピュータ認知訓練」を行った群が、対照群に比べて全般的な認知機能(MoCAスコア)とワーキングメモリの両方で有意な改善を示しました。さらに、歩行持久力も向上するという身体的な相乗効果も確認されました。
この結果は、「運動で脳を活性化させた直後に認知訓練を行う」ことが実行機能を鍛える戦略として有効であることを示しています。
5. 有酸素運動は、すべてのリハビリの「効果増強剤」である

有酸素運動は、単独で行うだけでなく、他のあらゆる訓練の効果を引き出す「効果増強剤」として機能します。
- 上肢リハビリの前に行うと、プライミング効果で腕の回復が促進される
- 歩行やバランス機能を強化する土台となる
- 中等度強度の運動で認知回路を最適化できる
- 認知訓練との組み合わせで実行機能改善につながる
つまり、有酸素運動は脳卒中後のリハビリ全体の基盤を支える「鍵」となる存在なのです。
まとめ
脳卒中後の有酸素運動に関する5つの真実:
- 脚の運動が脳の準備状態を整え、腕の回復を助ける(プライミング効果)。
- 歩行能力は具体的な数値で改善し、筋トレとの組み合わせでさらに向上する。
- 認知機能には「頑張りすぎない」中等度の強度が最も効果的である。
- 運動直後の「脳トレ」は、高次脳機能に相乗効果を生む。
- 有酸素運動は、すべてのリハビリの土台となる効果増強剤である。
参考文献
- Linder SM, et al. Forced, Not Voluntary, Aerobic Exercise Enhances Motor Recovery in Chronic Stroke Survivors. Neurorehabil Neural Repair. 2019;33(8):681-690. PMID: 31313626.
- Saunders DH, et al. Physical fitness training for stroke patients. Cochrane Database Syst Rev. 2020;3:CD003316. PMID: 32196635.
- Li X, et al. Aerobic exercise improves cognitive function in patients with stroke: A meta-analysis. Medicine (Baltimore). 2022;101(41):e31121. PMID: 36253969.
- Yeh TT, et al. Aerobic exercise and cognitive training synergistically improve cognitive function in stroke survivors. Arch Phys Med Rehabil. 2019;100(5):821-827. PMID: 30639273.
執筆者情報

株式会社Journey Rehab 代表|田中 光
作業療法士(国家資格)/認定作業療法士(日本作業療法士協会)
東京都立大学大学院 人間健康科学研究科 作業療法学域 博士前期課程 在籍
▪️経歴
・2016年:初台リハビリテーション病院に入職。脳卒中後遺症の回復期リハに従事
・2021年:自費訪問リハビリ分野に活動を広げ、2024年にフリーランスとして独立
・2025年:株式会社Journey Rehab設立。千葉県を中心に訪問型の自費リハビリを提供中
▪️ 研究活動
・第57回日本作業療法学会(2023)ポスター発表
・第34回日本保健科学学会(2024)ポスター発表
▪️論文執筆
